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読了した書籍 (1) 〜ニーチェ

ブログの内容は個人にとって側面にもかかわらず、これが全体像にもなり得るなと、ふと思いました。

169 自己を隠蔽するには

自分について多くを語るのは、自分を隠す手段でもある。

善悪の彼岸 – ニーチェ・中山元 訳

ネットワークが広がった半面「知らない人」とのつながりも増えたということは、非常にこのことを容易にします。

小難しいことを書こうとしているのではなく、ここ最近に読んだ書籍を年内にまとめてしまおうという記事です。

善悪の彼岸 – ニーチェ・中山元 訳

最初に手にしたきっかけはもう覚えていませんが、新約聖書を読み進めている最中に思いだしたので再読することにしました。

121 ギリシア語と神

神が物書きになろうとしたとき、ギリシア語を学んだということは味のあることだ。- しかもあまりよく出来なかったということも。

これは新約聖書への嫌みなのですが、1 つの書物、書籍を読むということはこういった別の側面も必要ですよね。

聖書は、キリスト教の観点から旧約聖書と呼ばれる様になったものを「古い契約」とみなし、フリードリヒ・ニーチェが皮肉っているギリシア語で書かれたものを新約聖書と呼ぶ様になりました。2 世紀ころの話とされています。
僕は契約をしていないので「ユダヤ教聖書」と書くことにします (以降、書くことがあるかな ?)

さて、別の著書「この人を見よ (西尾幹二 訳)」でこの著書は「すべての本質的な点において近代性の批判である」と彼は記しています。
キリスト教の上に成り立ってきた近代の文化、哲学、過去の自己をアフォリズム (格言) を用いて断定的に批判しています。
中山元 さんの翻訳も手伝って読みやすい部類ではあると思いますが、これ以前の著書でニーチェの思想に触れていないと、間違えた解釈をする可能性はあります。僕もあまり自信がありません…。
第 5 篇以降は読みようによってはばりぞうごんの嵐です。 ただ、これは彼の考察する真理、善の追及なので、単純に解釈してしまうには危険です。

このあともかなりの量の文章を書いたのですが、まとまらないのでまたの機会にします。
記事 2 つ分くらいになりそうな上に、何を書いているのかが分からなくなってきました。難しい…。

108 道徳的な現象

道徳的な現象というものは存在しない。あるのは現象の道徳的な解釈だけだ…。

放ったらかしにはしておけません。

この人を見よ – ニーチェ・西尾幹二 訳

彼の精神が崩壊する前年に書かれたものですが、著書を初期から追うよりもこの著書から読みはじめると良いかもしれませんね。
初めて手にしたのですが、最初に読んでおけば良かったとも、最後でも良かったとも思いました。
「かくて、私は私の生涯を、私自身に語り聞かせることとする」とある様に、自伝でもあり、著書の解説でもあります。

「私には潔癖の本能がまったく不気味なまでに敏感に具わっていて (略)」と書かれていますが、まったくその通りの思想、内容です。
題名の「この人」とは本人のことであり「なぜ私はかくも賢明なのか」から始まる、ニーチェのための、人類のための書籍です。

アルコールを摂取しながら読んで申し訳ありませんでしたとニーチェに謝っておきます。
再読リストに登録します。

ニーチェに傾倒しているワケではありませんが、思いのほか時間を費やしました。
「読了した書籍」として掲載しようと思っていたものはほかにも数冊あるのですが、今回はここまでとします。

このごろ少し

今は仮住まいの様なものなので、段ボールの上に書籍等々を積み上げているのですが、そろそろ崩壊しそうです。

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