当記事は 2011 年 9 月 12 日に投稿されました。内容が現状と相違がある点等にご注意願います。
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半年、10 年、50 年、それぞれに思うこと (1) 〜東日本大震災・アメリカ同時多発テロ事件

2011 年 9 月 11 日は東日本大震災から半年、アメリカ同時多発テロ事件から 10 年、WWF 設立 50 周年の日。

半年 – 3.11 東日本大震災

相変わらず、4 月に見たあの光景は忘れられない。
見たこともない様な状態からの復興に時間を要することは理解しているが、半年を経過した今もまだまだ苦労されている方がいる。

国会は政治主導ではなく、政治 “都合” 主導の様相で、その一部の政治家、官僚や報道が被災者の生活をかき乱す様なことばかりが目立つ。
あの日以降、そういったことに対する反応も以前とは明らかに変化し、日本人の考え方、感じ方が違ってきたと僕は感じる。

さて、12 日から文科省が毎時、SPEEDI (緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム) を使用した拡散予測を公表するとのことだが、これまでのことを考えると斜に構えてしまう。遅いと言わざる得ない。
起きてしまったことを「なかったこと」にしても、後々のツケを支払うのは国民。
こうした福島第一原子力発電所関連情報のいつまでももやがかかった様な状態と、それをあおる報道が風評被害を助長しているのだろう。
被災者をさらに被害者にするという構図は止めて欲しいと切に願う。

東京都内では 3 カ月ほど経過した後、放射線量等の測定が開始された。
保育園児の父兄でも神経質になっている方がいる。食、住にかかわる問題なので、当然でしょう。
僕の住んでいる国分寺市は、直近の発表では出荷された野菜からは放射線ヨウ素、セシウムともに不検出。

放射線量等の測定 | 国分寺市

津波対策、原発問題、検証は必要だが、今への正しい対応も求めたいもの。
そして、まだまだ忘れない様に。

10 年 – 9.11 アメリカ同時多発テロ事件

23 歳の僕は、仕事を終えて東村山市内の店にて飲んでいた記憶がある。
台風接近か上陸というころで、野球中継が終わったままになっていたのか、マスターがニュースにチャンネルを変えたかは覚えていないが、2 機目が世界貿易センタービルに突っ込んだ場面が映し出された (この時点では事故か故意に突入をしたのかは分からなかった)
まるで映画を見る様な、ニュース番組ということを知らなければ、そう思っていただろう。
深夜までテレビにくぎ付けになっていたが、きっと、そのころは対岸の火事として見ていたのだと思う。
そこが 3.11 と大きく違う点だろう。閖上付近の津波を見た心情とははっきりと違う (年齢が違うということもあるが…)

もちろん重大で悲しい事件が起きたということは承知で、テロリズムという行為が許されるはずもないが、良くない言い方をするとそんなものなのかもしれない。
9.11 の時でも何もする意思がないということはなかったが、今回 300 km 程度の距離でもできることは限られている。
思いとは裏腹に、生活をしている場所、手が届く距離、その時の範囲で、それがボランティアであり、義援金、支援金であり、さまざまなこと、ものに形態を変えるのだと思う。

戦争が国家間の争いではなくなったという点で、それまでの概念が変わり、漠然とした不安を初めて感じた出来事だった。

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