「富士山の文学」とふもとっぱら

三鷹市内からの富士山

自宅近くにも「富士見町」という町名がある様に「富士見」が地域であったり坂であったり、名前のついている場所は多い。
今回、見える高さにいるというだけで、日常的に、見える日も見えない日もこんなにも富士山を意識をすることになった。

そして、三鷹市内に入院をしたことで、太宰治が生きた頃の写真に触れる機会が増えた。
太宰治が住んだアパートの窓は別として、古くから考えれば、今の様に遮るものは無く、恐らく富士山はもっと今とは違った形での日常だったのではないかと思い、国文学者、久保田 淳著「富士山の文学」を手に取った。

  富士には、月見草がよく似合ふ。

 とは太宰治の有名な言葉だが、もちろん桜や菜の花畑も富士山にはよい取り合わせだし、富士山と疾走する東海道新幹線の「のぞみ」や「ひかり」静と動、悠久のいにしえとめまぐるしい現代の見事な対照を示している。
 そして、取り合わせの有無にかかわらず、富士山はそれ自体大きな風景を現前させる。

あとがきで、こう、著者は言っているのだが、実にこれが物語っているのではないか。

月見草の一節は御坂峠に文学碑としてあるらしいが「富嶽百景」にはこうある。

 あまりに、おあつらひむきの富士である。まんなかに富士があって、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両袖にひつそり蹲つて水図海を抱きかかへるやうにしてゐる。私は、ひとめ見て、狼狽し、顔を赤らめた。これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註文どほりの景色で、私は恥づかしくてならなかった。

「風呂屋のペンキ画」をからかったものでないけれども、これに近い風景を思い出した。
最近のふもとっぱらキャンプ場。

ここ数年、急に何かが変わってしまったのかと考えてみれば、特に連休、富士山を背景にしたテント、タープ、車の圧縮された風景なのではないかと思う。
チェックインの仕組みが変わった点も拍車をかけたか。

赤富士を眺めながらマグカップを傾ける夫婦や、そんなことはどうでもよく走り回る子供の姿が前景として見えない。
富士山はもちろん動かないので、動きがない。あるのは遮るようにテントと炊事場を行き来する人の動き。

確かにいわゆるアウトドア人口は増えたし「ゆるキャン△」という漫画も話題の様で裾野が広がっている感覚はある。
アニメ (エピソード 1: ふじさんとカレーめん)もシーズン 1 を一通り見たけれど、新しい層に受け入れられるものだと思ったし、楽しめた。

グランピングも一般的になって、いろいろと形が変わってきている中で、関連メーカー、小売りも活発になるし、良い流れなのだろうから、僕がまた模索をすれば良い。

それはそうと、富嶽百景は、やはりバスの発着所でのくだりが好き。

今回「富士山の文学」からは「八 太宰治『富嶽百景』 月見草がよく似合ふ」の話だけになってしまったが「古今集」では活火山として認識されていたことや、中世から近代まで多数の人物、歌、物語、能などを通して、その当時の富士山信仰、時代背景に細かに触れられる一冊。

近代以前の多くの西日本の人々は天皇も含め、実際の富士山を目の当たりにできなかったそうだから、移動手段の発達が信仰と観光の境を急速に縮めたのかもしれない。