入院 45 日目〜三鷹事件

上連雀すずかけ児童遊園 三鷹事件 五十年碑

見出しが何のことか分からなくなっているけれど、土日は比較的、病院を空けられる時間が多いことが発端。

今日は散歩の際に相変わらず好んで行く、三鷹電車庫跨線橋。その先に行ったことがないので、回って北口側から上ろうとまっすぐ。
しばらく行くと「8 – 2 は ?」「6 !」「正解」「サーッ」滑り台を活用した算数の勉強をする親子の声が聞こえる、こぢんまりとした公園が左にあった。上連雀すずかけ児童遊園の看板が立っている。

公園内には不釣り合いにも思える、立派な石碑がある。三鷹事件に関するもの。
読み始めて、こういった石碑を見たのは初めてかもしれないという、一種の混乱を感じた。

「三鷹事件 五十年碑」

 一九九九年七月十五日「三鷹事件」から五十年のこの日、われらは誓い合った。繰り返されるわれらと鉄路への妨害を許さない。
 占領下に発生した「三鷹事件」は真夏の夜、電車区から無人電車を暴走させ、六名の尊い生命を奪った。この「事件」は、下山事件から松川事件へ連なる。共産党の「九月革命」説とこれを利用した国家権力の陰謀と国鉄民同の暗躍によって、国鉄労働運動は敗退した。翌年、朝鮮戦争が勃発する。
「三鷹事件」は「空中楼閣」と断定した判決が謀略を語っている。しかし、竹内景助氏には「単独犯」として死刑判決を下した。
 われらは獄中で無念の死をとげた竹内氏の無実を確信し、鉄道労働者として「事件」の受難者、犠牲者の怒りを我がものとしてたたかう。この「事件」を風化させない。
二十一世紀を前にして異常な静寂のなか戦闘態勢づくりが一気に進んでいる。われらは騙されない。われらは歴史から学び「抵抗とヒューマニズム」にたって子供達に平和な社会を残すために今たたかう。

一九九九年十二月三日

建立者
東日本旅客鉄道労働組合
五十年碑建立賛同者一同

建立者に「JR 東労組」を見て納得 (JR 東労組を否定するものではない、後ほど触れる)
記念碑の類いではなく、決意表明か。

松川事件を調べたことがあって、三鷹事件のことは多少、知ってはいた。
(東北本線の松川駅と金谷川駅間には吾妻陸橋という一部の方々には魅力的な場所があって…)

三鷹事件に関して、今、手元にある正確な情報は以下のみ。大辞林より。

みたかじけん【三鷹事件】
1949年(昭和24)7月15日、中央線三鷹駅車庫から無人電車が暴走、二十数人の死傷者を出した事件。捜査当局は人員整理に反対していた国鉄労働組合員の共同謀議による計画的犯行として一〇人を起訴したが、55年最高裁で単独犯行と判決された。→下山事件・松川事件

関連書籍が少ないからか、そもそもやはり謎が多いのかウィキペディアでも他のウェブサイトでも概要に大差は無い。
ただ、終わった事件ではなく産経新聞には「三鷹事件再審で検察反論へ 三者協議は 12 月に終結」とあり、昨日 14 日が最後の協議だった様だ。

JR 東労組の件は、今年 2 月に参議院で以下の答弁があって、少し調べてはいた。

質問主意書: JR 総連系労組への浸透が指摘され続けている革マル派の現状と実態に関する質問主意書

答弁書には以下とある (一部抜粋)

例えば、全日本鉄道労働組合総連合会及び東日本旅客鉄道労働組合内には、影響力を行使し得る立場に革マル派活動家が相当浸透していると認識している。

算数を聞きながら、Kindle 版を探すも無く。お母さん、なぜか答えが偶数ばかり。
「三鷹」というからには駅前の書店に…、無い。
あっても、各著者の政治的思想も大いに絡むかもしれない。

僕にはまだ分からないことだらけで、推移を気にかける程度のことしかできないと思う。

今日の行程他は、以下。

  • 検温
  • 血圧測定

3.7 km、6,274 歩、上った階数 9 階。

朝食

  • 白飯
  • ポテトベーコン
  • みそ汁
  • レンコンのきんぴら
  • つくだ煮

昼食

  • 白飯
  • 焼き魚
  • 春雨の煮物
  • 漬物
  • オレンジ

夕食

  • 白飯
  • 豚肉のすき焼き風
  • かまぼこの卵巻き
  • キュウリともやしの酢の物