当記事は 2011 年 4 月 13 日に投稿されました。内容が現状と相違がある点等にご注意願います。
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被災地の二極化を考えなくてはいけない、亘理郡山元町を見て #save_miyagi

僕が今回訪れた場所は宮城県亘理郡山元町、ほかに数カ所のみなので、以下はその点を踏まえてください。

あの日から 1 カ月と 1 日、菅 さんの記者会見はとても被災地を見た方とは思えない、自らのことに徹したものだった。
政府内のどこで何が動いているのか、動いていないのかは分からないが「復興」という言葉が使える場所「復旧」すらできていなく悪化の一途をたどっている場所、この二極化が徐々に顕著になってきているのではないだろうか。
既に山側に避難者が集まり、再度断水した今、衛生状態が良いはずもなく、理想論を語っている場合ではない。
山側にみんなが住めるのか ? ずっと住んできた場所。海側に戻ることしかできない方もいる。

人もかなりいなぐなっじゃったしよ、もう戻ってこねぇんじゃねぇが。
年寄りはまだ良いけどな。

友人のばあさんが言っていた。
良いことなんて一つもない。

山元町から車を走らせて北も西も 20 分程度の場所では状況は一変する。
もちろん断水等、苦労が多くあることと思うが「復興」という言葉が使えるのかもしれないと思った。
ただ、20 分程度だからと言っても、友人の様な自動車関連業や小売業はもっと小さな近隣のみんなで成り立っている部分があり、人が移住してしまうことは死活問題になりかねない。

野党に青写真作成参画を求めている場合ではなく、既になくてはならないもの。1 カ月ですよ、もう。
段階的な想像力が欠如しているとしか考えられない。批判は簡単だけれど…。

少し歩いただけだが、救援の方以外は誰一人として歩いていない、現状。
歩いたってがれきばかりで何もできないのだから。

人口の多い場所から救援されるのは分かるけれど、ようやくだよ。

友人はそう割り切るしかなかったのだと思う。
この間にたくさんの方が亡くなり、それを見つけることができるのは流されなかった重機を所有している方たちだったとのこと。
自衛隊の皆さんにはみんなが感謝をしていた。これだけの強大な戦力を正しく使えたかが問題。

自宅の撤去費用がいらなぐなっだな。

そう笑うしかない。
他県に避難していた友人が戻ってきたことでささやかな宴会を開く、そんな状況。
首をすげ替えれば変わるとは思わないが、もっと迅速で考えた判断を願いたいものだ。

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