2011 年 4 月 16 日 に投稿されました。内容が現状と相違がある点等にご注意願います。
2014 年以前の画像の一部、スクリーンショットは表示されません。ご了承ください。

亘理郡山元町への物資搬送の反省点

先週の今ごろは東北自動車道を走っていただろうか。

東京都内は特に寒いこともなく、水道、ガス、節電とはいえ電気にも困ることなく、今のところ結果の芳しくない野球を見ながら、何ら変わっていないのではないかという日々を過ごしている。
物資搬送前後では意識は想像以上に変わった。時間を確保できればまた行きたい。
でもきっと僕は野球場でビールを飲むし、それほどには変わりのない生活を送るだろう。

1 週間を経過して、物資搬送に関しての反省点というか、自ら気になった点があった。
今回は長期に渡っての現地滞在にて、もの、ことを提供できる状況ではなかったので、刻々と変化する必要物資という観点からそれに対応できていたかということ。

国道 6 号線を通ることができる状況であれば、当初は地震発生から 3 週間目の週末 4 月 2 日 (土) に現地着を考えていたのだが、東京都内やインターネット上の店舗の物資供給もなかなか安定せず、予想以上に購入、配送が遅れた。

直後の投稿にも書いたが、今回は自宅避難者、僕らの友人、その親族、その友人に渡すことを趣旨としていた。
やはり、できる限り必要とされている電話関連の状態を圧迫したくはないので、友人と逐一、必要物資の照合をしている場合ではないことはもちろん。被災地の方々にはそんなヒマもない。
情報収集できる範囲で想像を張り巡らせることが必要。
個人ができる範囲には限りがあるので、その中で考えたわけだが、この 1 週間「アレはもう少し多めで、アレはもう少なくとも良かったかな、アレは要らない分、アレが…」と思う。
まだまだ長い時間を要する現状、不用となるものを搬送したとは思っていないが、前述の 1 週の間に僕の想定していた状況とずれてしまったことは確か。そもそもその想定が的を射たかは分からないのだが…。

これからさらに不通の道路が開通し、物資が届くことになる時、場所の邪魔はしたくはない。
種類はある程度の把握をしていた分、個数が特に難しいと実感。
僕には子供がいるので、物資選択にそういった感情が含まれてしまったかなとも感じている。
僕らは道路にせよ、少なくとも必要とされているライフラインを使用して被災地に向う。
そう考えると、まず自分の住んでいる場所の現状把握が足らなかった。

想定されている余震もあるが、僕は今、ある程度の連絡ができる状況。この時期をまず活用することが今後のことになるかもしれない。
次回、行けることがあれば何らかの手伝いになるとは思うが、今回のことを踏まえて考えたい。

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