今回は、全くの回顧録。
発売の 1991 年は 13 歳、中学 1 年生。田舎のレコード店 (CD 店 ?) で「ALL IS VANITY」のジャケットに出会ってしまったことで 20 年近く角松敏生 さんの音楽を聴くことになった。
小遣いは覚えていないが、1 カ月分かもっとか、そのころは一つのアルバムを購入するということに対して相応の覚悟が必要だった。今は iTunes Store でジャケ買いはしない。
このジャケ買いは功を奏したと、その後を考えると思う。
まず、何がそうさせたかということを振り返ると、あのころはバンド全盛期だった (恐らく)
僕はそこにあまり興味がなく、FM 仙台か、聞こえてきたジャズに興味を持っていた。
そんな時、たまたまジャケ買いをした「ALL IS VANITY」がはまった。
後からだんだんと分かってくるのだが、参加ミュージシャンが日本人だけでも村上 “ポンタ” 秀一 さん、故 青木智仁 さん、佐藤博 さん、鈴木茂 さん、本田雅人 さんと、それはそれは。
Joe Sample、Larry Carlton、Jerry Hey、Kirk Whalum、それに加え。
今でも僕の中での最高のアルバム。ちなみに 2 年後にリマスタリングをして再発売をしている (この変態さも好き (失礼 !))
音楽を辞めようと思ったのもこの人たちのせい (笑) 自分のせいだ。
この後「君をこえる日」というアルバムを発表して「活動凍結」ということになる。
「凍結」と言いつつも AGAHARTA として長野五輪で「WA になって踊ろう」を歌っていたりと、聴きたい側はやきもきとしていた。
確か、たまたま立ち寄った今のヤマハミュージック東北 仙台店で AGAHARTA の「総武 TRAIN」を聴いて、またここでも小遣いとアルバイト代をはたいてインディーズ版 2 枚を購入した。罪な人だ。
宮城県民会館にも行った。あんなに空っぽなあの場所は初めてだったが…。
さて、1999 年に活動を解凍をするが、その間にファンは勝手に盛り上がっていた。ユニマットの CM は、ま…。
「解凍」の日、日本武道館には行けなかったのだが、その後、東京都内に住む様になって中野サンプラザに行った。
「TIME TUNNEL」ツアーは何回行ったか。
その後「INCARNATIO」で離れていった方はいると思うが、なんだかんだ言っても好きで、ひいき目と個人的に沖縄音楽が好きなこと、この後を考えると楽しみはまだあったのになと思うこともある。
「Summer 4 Rhythm」で路線を戻すのだが、アルバムは自体は好き。ただ、本当に戻した感があった。
好きな前提で言うが「Fankacoustics」は少々、冗長。
「THE PAST & THEN」は「Sea Breeze」よりも聴かないかもしれない。
「Prayer」は好き。
省略してここまで 10 作「NO TURNS」が最も好き。曲では圧倒的に「How is it ?」
最後に、BLUE NOTE TOKYO でのバースデーライブは良かった、あの距離感はたまらないものがあった。