「10」とは数字であってそれぞれなのだと思う。
乱用されているのではないかとすら感じる「あの日」という表現はあまり好きではない。
写真は 3.11 の前、3 月 9 日、前震前 11:01 の穏やかな浜名湖。この後、出発前の車中で長い揺れを感じることになる。
その前の 2 月に「個人事業の開廃業等届出書」を提出し、次年度からの仕事を前に、3 月 5 日、ナゴヤドームのオープン戦開幕戦「先発、岩瀬投手」を観戦、実家で過ごしての帰路だった。
開業後最初の仕事の開始が遅れることになり、2011 年 4 月、車に積めるだけ積み、亘理郡山元町の友人宅に向かった。
長らく宮城県在住であり、その頃には拠点は無かったものの、テレビに映し出される知った景色は知らない景色。
そして、この目で見た、今でも色の無くなった景色が鮮明に思い出される。
下の写真の場所、今は内陸側に移設された常磐線の脇。
帰宅後にまとめた Google マイマップの地図は随時新しくなり、今も 1 〜 2 年に 1 度ほど訪れるのだが、変化を感じる。
僕は住んでいるわけではないし「復興」という言葉は軽々しく使えない。
今の景色と 10 年前の対比ができると思うので、抵抗のない方はご覧ください。
大きな地図で宮城県亘理郡山元町撮影画像 (11.04.09) を表示する
2016 年、学生の頃によく足を運んだ閖上で、年々、変わっていく景色に「名残のある間に見せなくては」と根拠なく思い、2017 年に小学校 6 年生の子供と二人、11 日間でいわき市から本州最北端までキャンプをしながら沿岸を進んだ。
当時、Facebook に書いていたことを抜粋、キャンプ場、テント、タープ設営、車中泊を振り返る。
テント泊か車中泊かは天気と気分。
1 日目 (いわき市遠野オートキャンプ場)
2017 年 7 月 29 日。
二人夏旅、1 日目。
今日はある程度の距離を稼ぐ目的で、最終地はここ。
渋滞は無く、快適な常磐自動車道。
このキャンプ場、区画サイトの割には二家族分を確保できそうな広さ。
整っているものの、昆虫やカエル、そのため蛇も見かける、なかなかに自然豊富な場所。
どちらかといえばファミキャン向けかもしれない。
隣が気にならない広さが良い。
2 日目
バックヤードまで見どころのあるアクアマリンふくしま、巡視船あぶくま見学から国道 6 号線を北上。
堤防と平地ばかりになっていく中、まだ取り残されたままの大熊町は 2.4 μSv / h。ここを子供を乗せて通ることは少し考えたけれど、何が起きたかを見て、考えた様なので、またこの旅の最中で何かかがぼんやりと浮かんでくるのかもしれない。
当時、この区間の国道 6 号線は、放射線値の影響で途中での下車が不可。左右すべてが鉄柵で降りる場所は無かったが。
所々に線量計が設置がされており、黒いフレコンバッグの山に現実を感じた。平均的に 1 μSv / h。
山元町の友人宅に宿泊。
3 日目 (キャンピングビレッジ 登米森林公園)
閖上から塩竈神社、キャンピングビレッジ登米森林公園。
のんびりとしすぎて、日本三景、松島スルー。
これには子供も納得の様で「こんな感じ」の方針ができた。
キャンプ場は、貸切状態。
携帯電話がつながらず、自然の音だけの男二人はなかなかの趣。
前夜、話が盛り上がり、すっかり長い眠り。
思いのほか閖上に長居をしたのは、前年と同様にまったく場所が思い出せなかったため。
キャンプ場は少し不安になる道のりだが、自然の音にあふれている。
ここで余震が起き、子供は東京都内では感じられない地鳴りに驚いていた。
4 日目 (宮古姉ヶ崎オートキャンプ場)
山を下り、南三陸町から始まった。
多くの工事車両とすれ違う中、まだまだ工事中の場所を見たり、起伏の激しいリアス式海岸線で改めて津波の高さを思ったり。
当然のことながらこの道のり、キャンプ場は難しいので、少し長く走って宮古姉ヶ崎オートキャンプ場。中休み、2 泊。
男二人、雑な予定と下調べで、子供が震災について知りたいと言っていたリアス・アーク美術館は休館日。
少し落ち込み気味ではあったものの、気仙沼市場脇のまぐろ丼で復活。
今日のキャンプ場は、高規格の部類に入るとは思うけれど「やり過ぎず」高低をうまく使っていて好印象。
暗いのも良いし、ほどよい波音も良い。
子供が担当をしていた PowerShot S100 が壊れる。やはり長い旅はカメラ 2 台。
防災対策庁舎の見え方にかさ上げの高さを見た。ここからの道のり、各所でそれを見ることになる。
休暇村陸中宮古にあるキャンプ場は、その休暇村の建物とは離れていて、それでいて遠くもなく、うまいつくり。
関東地方近郊の高規格キャンプ場の様な仰々しさがなく、ここはまた行きたい。環境が良いせいもある。
5 日目 (宮古姉ヶ崎オートキャンプ場)
今日は運転をしないので、唯一、朝ビールを許される日。散歩、洗濯、風呂。
ふもとっぱらでのキャンプ中、フリーマーケットらしきもので半額で買った鳥の形をした洗濯ばさみが活躍。あまりどう使うかは考えていなかったけれど。
ビール片手に山道を歩き、蛇に「シャーッ」とされ (ヤマカガシだったと思う) リアス式海岸線を堪能し、ビールを飲み、星空を眺めた。
6 日目 (黒崎オートキャンプ場)
田老町、龍泉洞、北山崎。
岩手県は目立たない部分にも震災遺構があって、6 年前のことを残そうとしている努力が見られる。その土地の人の気持ちは分からないのだけれど。
キャンプ場は、管理棟に誰もいないので、後からおじいさんが軽トラで料金を回収をする仕組み。
釣りと海水浴について詳しく教えてくれて、どちらも準備が無く申し訳ない。
宮古姉ヶ崎オートキャンプ場を出発後「震災メモリアルパーク中の浜」に行く予定が、まったく違う山道に入ってしまい、子供のナビを元に急勾配をバックで引き返す羽目に。これが一番の思い出らしい…。
このあたりは、随所に「平成 27 年 9 月関東・東北豪雨」の爪痕が見られた。
道のり、店が無く、ビールの無い夜を過ごしたキャンプ場は、広さはあるが通路を挟んでの向かいが繁忙期は少し気になるかもしれない。それでも十分。
北山崎で「まつも」を買えて、濃かった日。
7 日目 (三沢オートキャンプ場)
小袖海岸、久慈市内、三沢航空科学館、三沢オートキャンプ場。
「じぇじぇじぇ」な場所は、やはりいろいろと工事中で、向かいからそんな風な写真を撮ったり。
キャンプ場は関東地方で言えば「大子広域公園オートキャンプ場」な雰囲気かな。
三沢オートキャンプ場の管理人には突然の問い合わせながら、大変、丁寧に対応をいただいた。
このあたりになると同じ方向を目指している旅人と日程が重なってくる。特徴的な同じ車をよく見かける様になる。
久慈駅前のスーパーで買ったわかめに、わかめの差を子供は感じた様であった。
僕は、以前から好きな「小川原湖産大和しじみ」に改めて感激。今でも買っている。
8 日目
徐々に色を感じる街並みになってきていた。
ずっと沿岸部を進んできたので、青森市街が見えたときにはまぶしいくらいの大都会に見えた。初の県庁所在地。
三内丸山遺跡、ねぶたの家 ワ・ラッセ、青森県観光物産館アスパム、浅虫水族館。
ねぶたの家 ワ・ラッセでおはやしを見た結果、やはり本物が見たいということで、急きょ。
その地に水族館があれば必ず行く。特にアザラシが好き。
アザラシが好きな方は、さらに北になるが、おたる水族館がおすすめ。
本来の日程であれば、前日に青森市内に着いていたのだが「宮古姉ヶ崎オートキャンプ場」を気に入ってしまった僕が 2 泊に変更。
コロナ禍、今はなかなか見に行けるものではないので、良かったと思っている。
市街とを行き来し、最終的にかろうじて空きのあった道の駅ゆ~さ浅虫で仮眠。
タープを張ってしまっている方がいたり、驚いた。
9 日目 (早掛レイクサイドヒルキャンプ場)
本州最北端、大間崎までの道のり、むつ市の友人と三人夏旅。
最終目的地の大間崎で念願のまぐろを食べて、再会もあって子供の勢いはかなりのもの。
友人の恐山説明力もかなりのもの。優秀なガイド。
僕はアブラが苦手で、中トロ、大トロは敬遠をしていたが、良い意味で「ああ、そういうことではなかった」と。
この日、キャンプ場では記念撮影となってしまい、設営のみの写真を取り忘れている。
3 人でも三沢オートキャンプ場と同様の設営で、僕が車中泊。この日を踏まえてシュラフは余計に持ち歩いていた。
市街地から近く、整備のされたキャンプ場。くぼ地になっていて、その近さを感じさせないので、使いやすさを感じた。
むつ市の生徒、一度は来るらしい。
10 日目
友人を送って、山元町まで。400 km と少し。
11 日目
2164.6 km を走って終わり。
往路同様に山元町の友人宅で雑談、宿泊後、最後の運転。
2011 年 4 月の東北自動車道は路面がガタガタで、まあ、よくも飛ばすなと他の車を見ていたものだった。
飛ばしはしないが、安定をしているということは大切で、ありがたい。
僕は自宅に積んであった段ボールが崩れた程度で被災者ではない。
分かろうとしてもきっと分からないが、知りたい。
今年、ひとまず、交流戦、見に、会いに行けるかな。